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  プロフィール

土井敏哉のプロフィール

ここを読むのはひまな人だけにして下さいね。

 昭和42年1月生まれ 京都市出身 AB型 山羊座です。

 なぜだか山羊座の未年というと笑う後輩がいます。

 

 大学

 出身大学は、同志社大学文学部文化学科です。美学及び芸術学を専攻していました。

卒業論文のテーマは、「現代音楽における対位法」でした。現代音楽を音楽美学哲学の立場から分析してみました。

 ちなみに対位法というのは作曲法のことで、現代のようにコード進行から作曲するのではなく、いくつもの違ったメロディーを組み合わせて作曲する方法で、バッハなどのバロック音楽が有名です。

 卒論では、シェーンベルク(ロシアの作曲家です)などの和声法に全くとらわれない難解とされる現代音楽が、なぜ美しい音楽足りうるのかということを延々と、そしてトクトクと述べるという 屁理屈好きにはたまらない一品に仕上がっています。

 ちなみに、実生活で好きな音楽はディープパープルやアイアンメイデンなどのハードロックでした。高校時代、教室の私のロッカーには、「土井のハードロッカー」と誰かが落書きしていました。

 当時は真剣にプロのミュージシャンを目指しており、髪も金髪で腰までありました。近所の人は怖かったと思います。\(◎∠◎)/

 楽器が上手ければプロになれると思い込み、異常に、そして真剣に練習していましたが、ある時、そもそも音楽を通してみんなに何かを伝えたいという肝心な部分が自分にはないと気づき、プロは無理だと悟りました。

 

 就職1

 平成元年4月消費税と共に社会デビューを果たしました。最初の就職先は大手旅行会社の京都営業所です。

 若くてわがままだった私は、よく先輩に迷惑をかけていました。バブル全盛の時代で、就職活動でも苦労しませんでしたし、仕事に真剣に取り組む雰囲気がない時代でした。

 ちなみにそのころ、そうした私たちの考え方を反映していたのか、僕たちの世代は「新人類」と呼ばれ、比較的嫌われていました。きっと使いにくかったと思います。

 旅行会社に就職したきっかけは、当時、明石屋さんまさんが「男女七人夏物語」というドラマでツアーコンダクターをしていたので、楽しそうだなと思ったからです。

 現実は毎日炎天下の飛び込み営業で、本当にまいりました。(x_x) 

 結局、まったく実績をあげることなく旅行業から撤退しました。当時お世話になった皆様、ごめんなさい。m(_ _)m 

 

 就職2

 外回りの仕事は嫌だなと思っていたある日、とあるファミリーレストランにふらりと入り、「ここだ!」と思いました。

 志望動機は他でもありません。職場に冷暖房があること、これに尽きました。(^^)v

 すぐに店長候補生として就職し、店舗運営に携わることとなりました。これで私が、かなり安直な性格だったことを分かっていただけると思います。

 またしても楽そうだと思って入ったこの業界でしたが、これまた大変でした。その土日の忙しさたるや半端なものではありません。それから数年間、サザエさんを見ることが出来なかったのが最も辛かったことでした。

 それでも、当時私がいた店は午前2時閉店でしたので、まだマシでした。24時間店勤務の同僚が「24時間は24時間じゃないんだよ。今日なんか、もう働き始めて36時間目なんだ…。」という言葉が忘れられません。

 

 簿記との出会い

 サザエさんとちびまるこちゃんを見るためには、何としても日曜日が休みの業界へ転職しなければ!

 …とはいうものの、バブルもすっかり崩壊し、平成大不況の平成4年頃、資格がないと転職できないと思った私は、まずは簿記からというわけで、アルバイトの協力を得て、バックルームで簿記のお勉強を始めたのでした。

 

 勘違いで会計士試験を受けることに

 簿記の勉強を始めた6月頃、日商簿記検定試験は年に3回あるのですが、丁度終わったところだったので、ここは一つ高望みをしようと思い、11月に1級を取ろうと決心しました。これが間違いの始まりでした。

 ある時、何かのきっかけで会計士試験の合格体験記を読んだら、「簿記検定1級は会計士試験と同じレベル」と書いてあったので、「じゃあ1級を取ったら次は会計士になろう」と真剣に思ったのでした。25歳の秋でした。

 

 簿記1級を借金の担保に…

 無事簿記1級を取った私は、意気揚々と簿記学校に会計士受験の相談に行きました。でも、そこでいわれたのは意外な言葉でした。

 「いや絶対、会社やめないと会計士試験はむりですよ… f ^ ^ *)。」

 相変わらず貯金がない私は、その足で親に借金しに行きました。

 そこから夢のプー太郎生活が始まります。

 でも、ショックだったのは、あんなに憧れていた。ちびまる子ちゃんや少年アシベ、きんぎょ注意報など、見たくて見たくて仕方なかったアニメが終わっていたことでした。ちびまる子ちゃんはその後再開されましたが…。

 ちなみに、毎日夕方4時頃から再放送されていたドラゴンボールは毎日見逃しませんでした。

 

 会計士補にはなったものの…

 時の経つのは速いもので、平成6年10月、私は公認会計士2次試験を無事終え、会計士補というものになりました。

 でも相変わらずの不況で、27歳と合格者としては比較的高齢な私は就職先がなかなかみつかりませんでした。

 あんまりにも就職先が見つからなかったので、ある日、大阪の弁天町にあるハローワークに行って「会計士補なんですけど就職ないですか?」と尋ねると、「会計士って何?あんた他になにか資格はないの?凸(▼。▼)y- ̄」と聞かれ、「簿記1級がありますf(^^;)」と答えると、「なんだそれを早く言わないと…┌( ̄0 ̄)┐」と言って、いろいろ探してくれました。「会計士って誰もしらないんだ…(;^_^A アセアセ…」と思いました。あのときのおばちゃんありがとう。

 

 就職3

 ついに就職が見つかりました。会計士協会近畿会の紹介です。金沢に本拠地のある公認会計士の大阪事務所です。憧れの「OLと一緒に仕事が出来る生活が始まるぞ」と思いきや、大阪事務所にはOLはいませんでした。ε〜(;@_@) 

 なので、本拠地である金沢事務所出張には気合いが入りました。

 若くてきれいな女性職員がたくさんたくさんいたからです。 ( ̄m ̄*)V  

 そしてついには、金沢事務所への転勤に成功したのです。

 まさかそのまま永住することになろうとは、当時は思いませんでしたが…。

 

 その後

 住んでみると、金沢というところは良いところです。まず人口が多くもなく少なくもないところです。渋滞もあまりなく、どこへ行っても混んでいません。でも一通りの繁華街はありますし、レジャー施設もあります。

 これは私の気のせいかも知れませんが、北陸はきれいな女性が多いような気がします。

街をブラブラしてもたくさんのきれいな人と出会います。単に私の好みの人が多いだけなのかも知れませんが…

 あと、何と言っても治安が良いのが最大の魅力です。

 そして、生まれ育った京都に近いことも気に入っているところです。少しですが、京都にもお客さんがいらっしゃいますので、往復が楽なのは助かります。

 あっ ちなみに私の両親は京都で散髪屋をしています。

 東山区の東山三条の近くで「理容ペギー」というお店です。

 京都に行くとタダなので私は必ず実家で散髪します。

 よろしかったら行ってやって下さい。割と流行らせています。なぜペギーというのか聞いたら、開業当時、芸能界では「ペギー葉山」という人が流行っていたからだそうです。

 あとついでに… というと怒られますが、

 私の姉は麻酔科の医者なのですが、奈良でこれまた医師の旦那と耳鼻咽喉科の医院を開業しています。正確な場所は思い出せませんが、確か“高の原”というところで、「くめ耳鼻咽喉科」というのをやっています。こちらも、奈良に住んでいて花粉症だという方は、行ってやって下さい。

 というわけで、金沢にて、独立開業となったわけです。 <(_ _)>

 

 


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